今年もあと12日

2018年12月19日

おはようございます。

こんにちは。

こんばんは。

おやすみなさい。

 

 

 

 

どうも、早川です。

 

 

 

 

今日は賃貸物件の内装写真を撮りに行きました。

区内なんですが、私の家の近くということもあり見覚えのあるところでした。

 

 

お部屋の中に入り、写真を撮ろうとしたところブレーカーをあげても電気がつかず、部屋の中も管理が行き届いておらず、とても残念な気持ちになりました。

 

 

 

なので外観だけ撮り、帰ってきました。

明日は、港区の高級マンションの内装写真撮影に行ってきます!!

 

 

 

 

見た人がこの部屋に住みたいと思ってもらえるように撮影しなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、今日はとっても面白い記事を見つけたので、そのことについてブログにしていこうかと思います。

 

 

 

 

ドラマ「大奥」などでもちらほら、活躍していた歴史上人物、徳川家光について書こうと思います。

 

徳川家光は江戸幕府3代将軍で江戸幕府を安定した幕府にしたのは家光だと言われています。

 

 

父が徳川家忠、母は江代(織田信長の姪っ子)になります。

乳母はあの偉大なる、初の大奥総取締役の春日局です。

 

 

 

 

そんな家光は小さいころは病弱で、体調を崩しやすく、本当に将軍になれるのかと周りもとても心配していたみたいです。

 

病弱でも活発さはあったので、外にでて遊びに行くのが大好きだったり、夜遊びがすきだったりとやんちゃ坊主だったようです。

 

 

政治には無関心というのは、誰もが聞いたことがあるかと思います。

 

 

 

将軍なのに政治に無関心。

そのくせ「余は生まれながらの将軍である」という言葉も歴史に残しました。

 

かっこいい!!

 

 

 

 

そして歴史で尊敬する人物は伊達政宗みたいなんですよね。

 

 

そう。仙台藩主の独眼流伊達政宗。

親父殿と呼ぶほど慕っていたみたいです。

 

 

あ、ちなみに仙台駅に昔、伊達政宗像が置いており、待ち合わせ場所は「ハチ公前」ならぬ、「伊達前」でした。今は違う場所に移されてしまいないですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな家光はすごく、男好きだったみたいです。

 

関係をもった男性は20人をくだらないとかで、好きになると人前でも露骨に態度を変えたり、気に入った男性をみつけると、領地をあてがったりと尽くすタイプだったと言われています。

 

 

嫉妬深いので、付き合っている男性に女性の存在がわかると打ち首にしたり、付き合っている間に相手に子供が生まれたことを知ると、領地を取り上げたりなど、すき放題。

 

 

 

 

まぁ、家光はお金使いが荒かったと言われていますからね!!

 

 

 

 

「家康で倹約し、家忠で貯め、家光で残財した」といわれているぐらいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもそんな家光に転機が訪れます。

それが側室のお万。

 

外見はとってもボーイッシュで綺麗な人だったらしいです。

残念ながら、お万との間には子供は生まれなかったみたいですが、仲睦まじいご夫婦だったらしいです。

 

 

 

徳川家の跡取り問題として、ことを重大的にとらえた春日局がお万を大奥にいれたみたいですが、そんな成り行きでも人は幸せになれるんですね。

 

 

 

 

 

 

 

すごくながい内容になってしまったんですが、やはり歴史は面白いです。

いくつになっても面白いです。

 

 

 

また何か面白い記事をみつけたら書こうと思います。

 

 

今日はこの辺で終わりにしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではまたノシ